死んじまいたいほどの・・・苦しみ、悲しみ、そんなものの一つや二つ・・・今日は、特別な日。今日は、ドイツ語ブログが日本語ブログに変身するんだ。ほぼ3年間、Thomas Itoがドイツ語でブログを書いて、返事を求めて、自分の夢を生きようとしたが、2021年7月9日から10日の夜、警察や消防士や救急車により自分のアパートから出されて、また精神病院に運ばれた。そこで、Thomas Itoが死んだ。そして、名前を変えることに決めて、復活した。Thomas Itoの新しい名前は、今やどうでもいい。とりあえず、「都会の匿名希望者」だ。
その匿名希望者、我だ。ほかの患者とチームを組んで、「我々」のコンセプトをドイツ人に教えてやることは、これからの我の仕事だ。そして、Thomas Itoと彼のお父さんの死をめぐる真実を探ることも。おそらく、両氏が殺された。Dransdorfの市民の虐待により、殺された。
死ぬ前に、Thomasがよく歌った。「俺の祖国Dransdorfよ、どうかTannenbuschに溶け込めないでくれ。誰もがわが子を愛せぬように。俺の祖国、Dransdorfよ。近頃ふざけすぎちゃいねぇか?もっともっと自分を激しく愛し貫いてゆけ。」その歌詞は、もちろん長渕剛のもので、ただドイツ・Bonnに合わせたものだ。
Thomasについての秘密を教えよう。1995年に、初めて精神病院に運ばれる前に、彼は警察に逮捕され、「日本大使館に送れ。俺、日本国籍をもらいたい。もう、ドイツのEgoismを我慢できなかった。でも、警察がGesundheitsamtに送って、そこでThomasが10分間ぐらい先生と話してから精神病院に送ることにした。たかが10分間は充分話せるが、10分間の会話が人の人生を壊すとは、信じがたいね。でも、Thomasの場合は、その通りだった。Rheinische Klinikenに運ばれ、そこでTraumatizeされ、珍談をもらって、精神ケースとされ、薬を飲まされ、自分を失った。
Creative Writingで、1996年に自分を癒そうとして、あれからずっとWritingしていた。ドイツ語で、英語で・・・そして、妻へのFaxを、ほぼいつも日本語で。ああ、昔の思い出は懐かしい。
トーマスのデカい「俺」を、妻が「私」に変え、そしてその傷付けられたInner Childを癒そうとした。Inner Childが癒されたら、彼女が「Mission Accomplished」と思ったはずだ。あるいは、「もうこれ以上何もできない。力が果てた。」と思ったのだろう?トーマスにとって、ずっと理解できないことだろう。時々、思うのさ。彼女が行かなければ、話はどう終わったのだろうか。彼女が行くべく行ってしまったから、その過程、その仮にもしもという考えは、よそう。自分を苦しめる必要はない。
何を言いたかった?月曜日の朝、7時20分前ぐらい。ほぼ徹夜で働いて、Bonnの町の住民と会話した。そして、文書や手紙も書いた。そして、心臓発作を起こした?よく知らない。ここは病院なのに、先生を呼ばない看護師がいる。
今日はもう眠い。そのうち、また連絡するぜ。その時、多分もっと些細に文書を書けるかもね。