尾崎豊のこと、覚えている?すごい上手に歌い、ファンの多いシンガーで、かなり若い都市で死んだんだ。あれは90年代のことで、昭和時代の思い出。彼のアルバム、一つだけ「買え」と勧められて買った覚えがある。そのアルバムはベスト・オブで、もちろん「卒業」という歌も入っていた。
歌詞のほとんど忘れたけど、覚えている部分もある。「後何度、自分自身卒業すれば、本当の自分にたどり着けるだろう?」その質問は、今自分に問いかけているわけだ。7月9日、私は「ドランスドル夫人」の人生を卒業したみたいだ。あの日、私はただ団に、故郷から逃げたかったわけだ。あの雰囲気は狭くて堅苦しくて、人は私をじろじろ見ていて、正直は「私は嫌われる」と思った。あの狭いBonnの郊外から出て、ほかのところに行きたかった。EndenichやDuisdorfやケルンやデュッセルドルフやRheinbachやSolingen,HamburgだろうがNew Yorkだろうが、とにかく故郷を捨てたかった。その夜、警察に逮捕されて、救急車で精神病院に運ばれて、社会に「まずは、お前は不自由だ」と言われた。
初めは、かなり辛かった。だって、「一番大事なもの、それは俺の自由」と、RC Successionが歌ったように、私もそう思いたい。でも、自由って、いったい何だ?それは、何かをするかしないかを自由に決められること。そして、本当の自由は、その行動か非行動がもたらす結果を我慢する責任をもたらす。と、私はそう思う。
昔々、あるところで、私は「行動しろ」と言われたことがある。そう言っていたのは、とても不思議な、同じ病院に患者としていたオヤジで、「彼のことを、信用しないんだ」とお父さんに言われたものの、しばらく考えた後は、彼の言うとおりにした。それは、私の最後の始まりだった。というか、それは私の運命だったかもしれないが、運命的な出会いから、私の人生の旅が迷路に入った。
「急がば回れ」、と日本語で言うけど、私はカンナリ長い回り道に入った。まずは、おやじに言われたとおり、イスラエルの大臣とコンタクトを取ろうとした。手紙を書いたけど、返事は来ない。また手紙を書いたら、再び返事が来ない。電話するべきだったかもしれないけど、私はその十時電話苦手だったので、もっと手紙を書いた。いろんな国のリーダーに手紙を出して、いろんな国のリーダーから返事は来なかった。
でも、「髪の毛一本でも、その陰はある」とラテン語のことわざがある。私の手紙はよ前れて、大きいマシンを動かされた。世界外交マシン。私は、それを感じて、でも周りの人にそれを話そうとしたら、「はいはい、もちろん。いいこだね。」と馬鹿にされた。そして、私の計画は、少しずつ形を取った。
でも、妻はいつも言っていた。「あなたの手紙は、危ない。もう、手紙をよしてください」、と。彼女の言う通りだった。
かれこれ26年間、「気が狂っている」との珍談を受けて、精神病院で治療を受けて、悟りを開いた。「気が狂っている」のは、私ではなく、世界なのだ。この世の中の人、みんなクレイジー。一番上に立っているものは、一番クレイジーだ。Elon Muskだろうが、Mark Zuckerbergだろうが、Richard Bransonだろうが、George Sorosだろうが、皆気が狂っている。そしてドイツは、まだナチスが支配している。民主杉を建前にして、陰で政治を操るものは、戦争で大金儲けした奴らの子孫。考えてみれば、反吐が出る。アメリカだろうが、フランスだろうが、イタリアだろうが、Money makes the world go round。もちろん、日本も含めて、韓国も含めて、中国も含めて、資本主義資本フューダリズムになっちまった。そして私は、腹が立っちまった。冷戦時代に生まれ育った私は、バブルがはじけた昭和時代末、新宿駅で寝ているホームレス・サラリーマンを見て、「これ、間違っている」と思った。
世の中は、金がすべてだ。神の価値は、失われた。それは、行かん。私は、自分の金をすべて失ってから、本当に大事なレッスンを学んだ。Love, Respect and Harmonyは大事な通貨だ。Love, Respect and Harmonyで、金がなくてもいい思い出を作られる。でももちろん、普段はそれで物は買えない。でも、私は思う。Love, Respect and Harmonyは、金に換えられる。だから、その三つは、21世紀の通貨になると思う。
より多くの人が、それを判れば、What a wonderful world this would be。