日曜日の朝、Leonard Cohenのアルバムを聴きながらブログをするってのは、悪いことではない。考えてみれば、私の今の人生は、とても平和だ。と同時に、何かが根本的に変わろうとしている。それは、大きい不安の原因。
「俺の人生は、どこから始まり、いったいどこで終わってしまうんだろう?」そう自問したのは、私の先生長渕剛。自分が、本当にスターになりかけていると、不安にもなる。「都会では、だれもが匿名希望者。この俺も、誰かに化けたがる。」そううたったのは、もう一人の大きい先生、泉谷しげる。今は亡き忌野清志郎先生も、多く教えてくれた。日本のロックこそ、私の考え方に影響を与えて、日本のロックスターこそ、私の先生。
昨日化おととい、私はBonnの町で聞かれた。「Du Nutte」は、日本語でどういうか、と。聞いたのは、あると若い男性で、私は彼に教えた。「女性の前で、Nutteなんて言葉は使わないんだ。礼儀正しく、尊敬の心を持って、付き合うんだ。どうせ話しかけるなら、『あんた、美人だね』と言ってくれ。」
だって、本当に「女」に、男として常に感謝の気持ちで付き合うべきだと思う。私を産んでくれた母から、あこがれていたクラスメイトから、私をほぼ無視した大学の同年性から、今はホットのメッセージを書いてくれるDating Platformの女性メンバーまで、もう私と話したくない元妻まで、そして私を支えてくれる「超特別なあの人」まで、「女」は私を作ってくれた。「女」は、私を「男」にしてくれた。そして、男だろうが、女だろうが、我々は皆、結局「人間」だ。
「人間になりてぇ。」それは、長渕剛の願いだった。1996年だったかな、Captain of the Shipってアルバムが出た年。そのアルバムを聞いて、私は感じた。私の言語行動は、この世に影響がある、って感じた。村上春樹の小説がドイツ語に翻訳され、ドイツ市場で人気を集めたら、私は知った。自分の声が、自分の文書が、自分のアイディアが、この世を変えることができる。それは、確かに1996年の出来事。
考えてみれば、信じがたい。「長い、長い上り坂」を登ってきて、今はTop of the Worldに立ち、上からこの世を見下ろしている気分だ。それと同時に、社会の下っ腹に座って、蟻のように毎日コツコツと社会を動かしている人間を観察して、その人間と接して話して一緒にビールを飲んで一緒に飯を食って、「人間」や「社会」を毎日、よりよく理解しようとしている。
私の目的は、明らかだ。「ドイツの王様」になりたい。自分の頭の中では、もう「王様」である。自分の頭の中では、もうその責任を感じて、その大事な役割の重さを感じている。ラッキーなことに、その重荷を一人に担うのではなく、周りの人々は私に力を貸して、私と一緒にその仕事をこなしている。
ちなみに、初めて「ドイツの王様」って考えが私の頭に現れたのは、1998年の出来事だ。「僕は、実はドイツの王様だ」って言ったのは、Bonnの精神病院の他の患者。彼の妄想こそ、私の運命になるなんて、その当時は思いもしなかった。人生は、妙な回り道をするものだね。
まあ、何はともあれ。今日は日曜日だ、9月も終わりに近づいている。10月は、どうなるだろうか?病院では、「そろそろ、退院しなさい」と言っているが、私はもう一人で暮らしたくない。おそらく、援助や同情に頼りながら、これからの人生を生きてゆく運命である。おそらく、「普通の人生」からあまりにも遠く離れて行ってしまい、これから一生、「特別扱い」される羽目になっているだろう。「王様」だろうか、「患者」だろうが、「天才」だろうが、結局どうでもいい。私は、この運命をピックアップして、この運命をアクセプトするしかない。
で、この記事のタイトルは?「美人は頭脳から生まれてくるのさ」というのは、泉谷しげる先生の歌の歌詞。「女」は、Nutteと呼ばれていても、それでもLadyであるケースが多い。そして、自分の経験から話すと、Penner様達とNutte様達が、私の人生に大きい役割を果たした。勿論、Nintendoの同僚と上司も、多くを教えてくれた。
今日は、9月26日、日曜日。私の胸は、感謝の気持ちでいっぱい。本当は、いい人生だ。神様に、周りの人間に、故郷Bonnに、そして世界各国の美人に、感謝するしかない。