とある金曜日の朝、私はPCに向かって、文書を書くことに決めた。最後にこのブログに記述したのは、しばらくぶりだ。というのも、9月にパスワードをなくして、その当時入院生活を送ったため、パスワードを新作成するより先に先ずはアタマを整理したほうがいいと思った。そして、そうこうするうちに、12月になってしまい、「今すぐブログを再起動しないと、遅くなるぜ。」と思ったわけだ。
「今からでも遅くはないかい?今からでも間に合うなら走るぜ。」そう唄ったのは、泉谷しげる先生だったような気がする。彼の言葉は、今でも私の脳裏に響き、私を考えさせる。日本のロック、日本のロールが、本当に私に多くを教えてくれた。後は、日本の文学。主に、村上春樹先生が、私の思考に大きい影響を与えた。「ノルウェイの森」だろうが、「ダンス・ダンス・ダンス」だろうが、「1973年のピンボール」だろうが・・・そして、村上先生といつも結ばれている名前は、松本信夫。彼は、「先生」ではなく、「同級生」だった。親友だった。親友松本は、私に日本の社会を紹介して、その社会の頂点弱点を見せて、私と一緒に「よりよい社会」の夢を見てくれた。
もちろん、親友松本を結婚式に招待するつもりだった。でも、彼の連絡先・電話番号を調べてもらおうと岩手県でホテルのフロントに問い合わせたら、ホテルのスタッフが調べてくれて、松本家は全員、亡くなったことが分かった。始めてそれを知ったときは、ハートブレイクだった。信じられなかった。今は、親友松本の死をアクセプトするようになったが、愛する神田家も全員、連絡不問であることをなんとなく分かるが、いつ、どこで、どうやってMiAとなったか・・・それが知りたい。
時々、本当に思う。誰かが、私の人生にイタズラをしている。誰かが、私の幸せを邪魔しようと、一所懸命頑張っている。「誰かが」?うん、「誰かが}。心の中、私は「あの人」のため息する声を聞く様な気がする。「ねえ、トーマス・・・その『誰かが』は、結局のところ貴方ではないですか?結局のところ、あなたご自分は、自分の幸せの一番大きい妨げではないでしょう?」考えてみれば、その通りかもしれない。
人は皆、「希望」を持っている。私も、欲の深い男かも知れない。私の「希望」は、いい年を超えた割にまだまだ大きい。その「希望」を相変わらずまだ諦めていないから、相変わらずまだ病んだり、傷んだりしている。本当に、そう思う。「希望」や「欲」を捨てれば、人生は楽になる筈だと、そう信じる。
でも、多分私の人生は、「楽」に生きるためのモノではないかも知れない。多分、私の人生は、「苦労する」為にあるかも。私は信じたい。私の人生で、他の人も何かを学ぶことができる筈だ。ドイツ語でも書いたが、日本語でも書ける。私は、先生になりたい。先生でありたい。先生の道を歩みたい。
簡単な道ではない。でも、一旦この道を歩むことに決めたら、この道を歩むしかない。
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