2000年代の始まりに

誰か、泉谷しげるのこと覚えている?彼は、よく歌ったね。都会の淋しさについて、超大国の危機について、眠れない夜について、そして人類の気分について。1900年代の終わりは、特別な時期だった。昨日だったみたいに、覚えている。1991年に、私は東京都杉並区に引越し、代田橋駅の近くの6畳に住んでいた。

勿論、長渕剛はBossだった。彼のアルバムは、私に「ニッポンの男魂」について教えた。「JAPAN!」だろうが、{昭和」だろうが、{JEEP」だろうが、彼のアルバムは私に伝えた。外人のあんたよ、日本を理解したいならば、これを理解しなさい。それをつたえたのさ。RC Successionや忌野清志郎も、素晴らしい先生だった。忌野先生の道を歩み、私は理解した。私の目は猫の目であることを、私は一般人じゃなく、芸術家であることを理解した。

あれから、どれくらい経ったのだろう?留学を終わらせて、ドイツに帰国してから、今年の秋かれこれ30年経ったね。もう30年?時が経つのは、正に早い。1900年代の終わりから、昭和、平成を終わらせて、今や2000年代の始まりについて、ここから1000年を、人類はどう過ごすだろうって、皆不思議に思う。

正直に言って、俺も分からない。1000年後の人類、どんな方向に発展するかを。なぜかというと、1000年ってやつは、馬鹿みたいに長い。「明日になれば、明日の風が吹く」ってよく言うけど、1000年後の風、フツウの人間は、仲なんか計り知れない。そして、とてもいいづらい事実だけど、この俺もたかが人間なのさ。人間として、この一回きりの人生をできるだけマトモに生きるべきだ。残念ながら、昔々見た夢が大きすぎたため、今やこうやって「夢」と「希望」と「罪」と「罰」について書かざるを得ない羽目になっている。昔は、ただ「人間として認めてほしい」と思ったはず。「認めてもらうために、偉くなる必要がある」と、そう誤解したようだ。一般人、百姓、匿名希望者は、社会の中で無視されると思った。

多分、私の所為じゃない。多分、家族と学校の銅鏡生徒高校先生、70年代、80年代の(西)ドイツの社会の責任かもしれない。子供のころから、私は「偉くなりたい。認めたい。」と考えたら、返って無視され、虐待されたかもしれない。幸せな子供時代、青春時代だったはずだけど、私の過去を分析した先生が、子供時代のトラウマが私の精神病の原因の一つだったかもしれないという。俺のTheorzに寄れあ、青春時代のHeartbreakも、俺のアタマをFuck upしてしまった。医学的な説明は、脳内のChemistryは、フツウの人間と違って、クスリなしには普通の人生を生きられない。

でもね、「普通の人生」は、そう望ましいものだろうか?一般人は、死んだら遅かれ早かれ忘れられる。私の名を、1000年後の人はまだ覚えるだろう。豚野郎どおどもの社会を変える奴こそ、永遠に思われる。記憶される。仕舞に、崇拝される。

捜査。2022年1月23日は、私は「ニンゲン」を捨てて、「神」になった。私の頭の中だけで。徹夜した後、夜通しに美人とChatした後、私は自部のアタマで「神」になった。不思議な気分だ。でお、悪い気分ではない。「ニンゲン」の中を歩き、ニンゲンに囲まれて生きる「神」は、これからどんな人生を生きるあろう?さあ、それを知るのは、これからのタ・ノ・シ・ミ。

Autor: Thomas

Geboren im Frühjahr 1969, vermutlich als Teil des Manjurian Program jahrelang darauf trainiert, die USA im Ernstfall zu verteidigen. Bei einem Aufenthalt in Japan sensibilisiert worden für amerikanische, russische und japanische Kriegsverbrechen, jahrelang als "Ronin Warrior" zwischen Ost und West unterwegs. Super Soldier. Kriegsheld. Iron Man.

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